無料ブログはココログ

メダカ観察ノート

2018年5月16日 (水)

2018年2月 5日 (月)

故・松下幸之助の思いやりの心⑧!!!。

今朝も、5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて外を見たら、快晴でしたが少し北風がありました。身支度をしてテレビを見ながら、ゆっくりと朝食を食べて、妻が今朝も愛犬クーちゃんの朝の散歩に行ってくれるというので、頼んでPCに向かってブログを書いています。タイトルの故・松下幸之助さんのことは、連続して毎月PHPに、PHP研究所主席研究員が書いて、掲載されていますが、2月号には「叱責は愛情から」として、昭和三十年代前半、家電ブームの波に乗って急成長を遂げます。ただ、なかには他社に勝てない製品もありました。その一つが自動炊飯器で、当初は人気商品で、昭和三十一年十二月に発売し、翌三十二年には二百万台も生産するほど普及したが、ところが、ご飯が炊き上がる前にスイッチが切れてしまうという苦情が寄せられた。米の入った鍋とそれに熱を加えるヒーターの接触不良が主な原因でした。商品テストで人気の消費者向け雑誌からも指摘され、返品がどんどん増えていきました。昭和33年、この事態を憂慮した当時社長の松下幸之助は、炊飯事業部らの社員を集め、製品検査の怠慢を注意し、そればかりでなく、「そもそもプロなら不良を事前に察知できるはず」「独立会社であれば破産していた」などと発言し、社員が職責を尽くしていないことを厳しく指摘しました。名指しで叱責された炊飯器事業部長は、技術者らと毎日深夜まで会社に残り、死に物狂いで新たな炊飯器の開発に取り組み、従来の方式でない最新製品を採り入れて解決しました。あとは操作性やデザイン性が課題として残りました。しかし昭和三十四年に、それらの課題をクリアした画期的な新製品を世に出し、ついに翌三十五年、炊飯器市場占有率でトップの座をつかみます。昭和三十六年一月、幸之助は社長として最後の経営方針発表を行い、そのなかでこの快挙を絶賛し、とりわけ、事業部長の並々ならぬ努力をたたえます。「私は三年前の(事業部長の)姿をありありと覚えています。みずからの責任を痛感し、なんとかして立派な炊飯器をつくりたいと、神かけて念じていましした。その姿の尊さに、頭の下がる思いがしたのであります」 事業部長は思わぬ幸之助の言葉を聞き、涙があふれてとまりません。事情を知るそばにいた幹部社員らも、もらい泣きしました。幸之助の社員に対する叱責の裏には、深い愛情があることを知ったのです。これに対して同年九月、炊飯器事業部は幸之助への感謝の会を催します。幸之助はあいさつのなかで再び「(事業部長の)苦しむ様子には心を痛めた」と話す一方、社外のお客様にとってそのような苦しみは言い訳にならないとも訴え、あらためて社員の気を引き締めました。以降、炊飯器の売れゆきは、ますます伸びたとのことです。と、書いてありましたが天下の松下電器を創業し経営した人は、人心把握:経営学:等々に人一倍努力したのですね。そうゆう人の下で、働けた人はなんと幸せな人々なのかと、羨ましく思いました。

2018年2月 4日 (日)

心を寄せあいあたたかい社会を「ドラマ」!!!。

今朝も、5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて外を見たら快晴でした。いまのところ、北風もなく穏やかな一日になりそうです。身支度をしてテレビを見ながらゆっくりと、朝食を食べて新聞を読んで、愛犬クーちゃんの散歩は妻がやってくれると言うので頼み、私は今PCに向かってブログを書いています。タイトルの言葉は、PHP2月号に、だれでも仕事や人生において突如、窮地に陥ることがある。”なぜ悪条件ばかり重なるか”こんなときに”事故に遭うなんて”といった愚痴がついこぼれる。人生八十年、平穏のうちに過ぎればそれにこしたことはことはないけれど、そうはうまく運ばない。時に悲劇に見舞われるのも人生である。日常、私たちはテレビや書物を通して、おもしろいドラマを楽しんでいる。おもしろいドラマの条件は、主人公の目の前に高い壁が立ちはだかっていて、そして主人公が絶体絶命のピンチから脱出し、大逆転するところに気分爽快、ドラマの醍醐味を味わっている。 とすれば、現実に危機に直面したとき、これもまたドラマの舞台、自分をその主人公の見立ててみたらどうだろう。不屈の闘志で事態を打開できればまさにヒーロー、観客でなく主人公としても極上の喜びを味わえるのではないか。 嘆くのはほどほどにして前向きに。逆境こそ最高のドラマの始まりだととらえ、まず 主人公らしく、自分の足で立ち上がることから始めよう。 と書いてありましたが、
ものは考えようで、良くも悪くもとれると、いうことだと思いますよね!!!。人生、常に「ものごと良くとって考えて」残りの人生を過ごしたいものですね!!!。
 

2018年2月 3日 (土)

2月の「心にひびくことば」!!!。

今朝も、5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて外を見たら、少し晴れてるところもありますが、曇り空です。そのまま起きて、今日は蓮田駅東口の駅前にN内科クリニックに10時に妻も一緒に予約してあるので、9時過ぎに家を車で出て、10時少し前に入って診察してもらい、近くの薬局でくすりをもらって、12時前に家に帰ってきました。今日は患者さんはインフルエンザに罹った子供も数人いました。予防接種をしない人もいるのですね。ところで、タイトルの言葉は作家:高橋 克彦さんが恥ずかしくて人に言えないことを書けとして、自分は小学生の頃は、作文が大の苦手で、「話せば簡単なのに、なぜわざわざ文章にするの」と疑問を持っていた小学生の頃、ロシア文学の研究者だった母方の叔父が伝授してくれた人言。古来から文章とは日常会話の記録でなく、秘密に関わる大切なもの。友達にたやすく口にできないことを書きなさい、と。これで一気に開眼して、隠しておきたい秘密ならいくらでもあった。以来、次々と文章コンクールに入選。この言葉なくして今日の自分はない。 と、書いてありましたが、確かに話すことができなくても、文章手紙などにすればできる場合もありますよね!!!。そのような場合には、良い方法ですよね。

2018年2月 2日 (金)

私の信条「失敗を恐れず、挑戦する」!!!。

今朝も、6時に起きて、昨日から天気予報で言っていた、雪が降っているか?見たら、先週より少ないが降っていました。2週連続で雪降りで野菜が高いままに、安くはならないでしょう。一昨夜31日は皆既月食で、満月の月が欠けて見えていき、完全にみえなくなったのが、20時ころでした。ところでタイトルの言葉は岐阜県岐阜市で創業百十余年のアピ株式会社の野々垣 孝・代表取締役会長がPHP2月号に書いてあった信条で、ハチミツ製品の生産・販売から始まった会社が、今から三十年近く前のこと、レモン果汁に蜂蜜を溶かした、いわゆる「はちみつレモン」が大ブームになったことがあり、大手メーカー各社が全国に蜂蜜を求め、弊社もそれまで五十億の売り上げが、たった二年で九十七億まで急増しました。こんなことはおかしいと思っても、メーカーの需要について行かなくてはならず、設備投資をし、人員も増やしました。ところが、やはりブームは二年で終息し、工場の操業は止め、人も余り、売上も元の五十億に下がりました。七十億ぐらいで留まると見込んでいたのですが、三十三億円買っていただいていた飲料メーカーは三億円、十五億円買っていただいていたのがぜろになりました。・・・・こんなジェットコースターのような経営でいいはずはなく、もう一本、事業の柱を求めて、健康食品事業に踏み出しました。最初三年は厳しかったですが、幸い養蜂まわりのロイヤルゼリーやプロポリスは乗り出しやすく、需要も伸びていました。四年目からは結果も出て、十年後には二百億円を超える売り上げになりました。あの時に業績が悪いなかで新しいことに挑戦し、社内には緊張感が走り、それが却ってよかったのだと思います。優秀な社員は誰も辞めず、懸命に取り組んでくれ、変ることを厭わんなかったわけです。「はちみつレモンブーム」の終焉で恩恵を受けていた養蜂業者はすべて打撃を受けました。そんななかで事業構造を変えたのは、弊社だけで、新しいことにチャレンジした弊社だけ大きく伸びることができましたのです。十五年前、三本目の柱をつくろうと進出した医薬品は時間がかかり、医薬品は新規参入が、一番難しい分野」業界で、十年たっても赤字で、十四年目にようやく黒字になりました。私は、いま、社員たちに、「失敗は恐れずにいろんなことに挑戦しょう」と言い続けています。もちろん失敗すれば叱られることもあります。それでもくじけずにやってほしいのです。新しいことに挑戦してきた歴史の積み重ねで、弊社のいまがあるわけですから、さらに「豊かな健康づくりに寄与する」という姿勢で、挑戦続けていきたいと思っています。と、言っています読んで、なんと働きがいのある、素晴らしい会社なのかと、思いました。

2018年2月 1日 (木)

東北レポート(復興への道をひらく)!!!。

今朝も、5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて外を見たら曇り空でしたが、身支度をしてテレビを見ながらゆっくりと朝食を食べて、妻が愛犬クーちゃんの朝の散歩に行ってくれるというので頼み、PCに向かってブログを書いています。タイトルの言葉はPHP2月号に川俣のシルクを世界一に!ということで、震災後、一部が避難区域なった「福島県川俣町で、世界に誇るシルク開発した斎栄織物の高級シルク製品が、震災後散乱した、工場内を片づける社員達が、今後も安心して仕事ができる環境にしていかなければと強く思いました」昭和二十七年に創業した斎栄織物株式会社の代表取締役社長・斎藤泰行さん(二代目)は、震災当時を振り返りながら、神妙な面持ちで話すのでした。織り機がずれ、ひびが入ったが一台一台調節して使えるように、根気よく直していった。”モノづくり”の会社だからこそできたのだ、と話す。そうした中、斉藤栄太常務をリーダとする十人のチームを組み、軽さに特化した高級シルク「フエアリー・フエザー」(妖精の羽)を三年の年月をかけて、震災の年に完成させた。フエアリー・フェザアーは単に世界一薄い絹織物というだけでない。機械による量産化を実現させた技術が高く評価され、二〇一二年の「ものづくり日本大賞」で最優秀賞である「内閣総理大臣賞」と「グットデザイン賞」をダブル受賞。海外の製品に押されがちな日本の繊維産業の中で、世界に勝負できる製品として話題を集めた。 と、書いてありましたが世の中に隠れた素晴らしい製品があるのだなあ!!!と、思いました。

2018年1月31日 (水)

2月号のヒューマン・ドキュメント!!!。

今朝も、5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて外を見たら快晴でした。少し冷たい北風が吹いていました。身支度をしてテレビを見ながらゆっくりと朝食を食べて、新聞を読んで妻が愛犬クーちゃんの朝の散歩に行ってくれるというので頼んで、ブログを書いています。今朝は早くに、菖蒲町の不来方さんよりTELがあり、元勤務先の会社のミニ技術部:OB会の人間で、群馬県の方に白鳥を観に行くので、都合を聞かれたので、昨日より今日は床屋に予約してあるので、明日なら良いですが、明日にできないか調整してほしい旨を頼みましたら今日でないと都合が悪いとのことで、断念しました。タイトルの言葉は、世界唯一の手打ちの鋏の技術を後世に伝えている鋏職人の水池 長弥さんの話が載っていました。世界でただ一人の職人の「水池鋏製作所」で熱した鉄を叩いて刃を仕上げる”手打ち鋏”の技術を守り、今も磨き続けている。

2018年1月30日 (火)

未来への道しるべ!!!。

朝も、5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて外を見たら快晴でした。身支度をして、テレビを見ながらゆっくりと朝食を食べて、いつもの通りに新聞を読んで、妻が愛犬クーちゃんの朝の散歩に、行ってくれるというので 、PCに向かってブログを書いています。PHP2月号に、コメディアンの小松 政夫さんが「ほれ込んだものに、とことんつくす。」ということで、書いてありましたが、十三歳のときに平穏な暮らしが、親父がポックリ死んで、突然音を立てて崩れて、今まではハムエッグ・トーストなんか食べていたのが、親父が死んで、手元に残ったのは莫大な借金だけ。まずは庭付きの一軒家に引っ越したものの、すぐに立ち行かなくなり、次は庭のない一軒家、そしてついに六畳と四畳半の二間と共同便所の小さなアパートに、七人が生活ことになった。「高校行くなんてとんでもない。働いてくれ」って言われたけれど、石村萬盛堂というお菓子屋さんでアルバイトをしながら、定時制の高校を出ました。石村萬盛堂の社長や奥さんに、かわいがってもらい「家に帰るのが嫌なんだ」って言ったら「じゃあ、うちでご飯を食べていけばいいじゃない」って。思えば、当時から、いい人に巡り合う運だけは、持っていたのかもしれません。高校を卒業して、家で同然で上京し、役者になりたくて、文学座・俳優座の試験をうけたものの、入学金四千円払えず、「どうすれば役者のなれるか」と悩んでも、いい知恵が出てくるはずもなく、だからといって「偉くなるまで帰ってくるなよ!」と送り出されたので博多にも戻れない。そうするうちに親父がこと、植木等との出会いは、週刊誌に、三行広告が載ったのです。昭和三十八年、車のセールスをしていた時「植木等の付き人兼運転手募集。やるきあるなら、めんどうみるヨ~」という文面を見て「これだ!」と即応募。とんとん拍子にまとまり、初対面で「君は、お父さんを早く亡くしたそうだね。これから俺を父親と思えばいい」と言われて、しびれましたね。睡眠時間も給料もセールスマンのときに比べて激減しましたが、大好きな親父さんのそばにいられるだけで、幸せな日々でした。独り立ちしてしばらくたったある日、親父さんから電話があり、「ちょっと話がある。今すぐ来い」って。説教かな、と戦々恐々で家を訪ねると、「おまえ最近、豪邸でどんちゃん騒ぎしているらしいじゃないか」と。確かに当時、タモリ・赤塚不二夫・伊集院静・桃井かおりなんかと毎晩宴会をしていました。「そこは家賃高いだろう」と親父さん。「知り合いの工務店の者を呼んでいるからこの近くに家建てちゃいな」って。当時の植木邸から直線距離で十分のところに、引っ越しました。あれは、親父さんなりの心配や気遣いだったのだろうと思っています。時代遅れかもしれませんが、師と弟子という人間関係はすばらしいものです。この歳になって親父さんこと、植木等さんのもとで懸命にやっていた、あの日々があったからこそ、今の自分があると実感してます。親父さん、ありがとう。 と、書いてありましたが確かにときには、師弟・先輩後輩・等の関係は兄弟関係以上の関係のことがあると、思いますよね!!!。

2018年1月29日 (月)

あなたの苦しみは、智慧となり輝きます!!!。

今朝も、5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて外を見たら快晴でした。北風もなく穏やかな一日になりそうです。身支度をして、テレビを見ながらゆっくりと朝食を食べ、妻が愛犬クーちゃんの朝の散歩に行ってくれるというので 、PCに向かってブログを書いています。タイトルの言葉はPHP2月号に (僧侶・アナウンサーの川村 妙慶)さんが、思うようにならない人生に反発していた川村さんを救ったのは、なんだったのでしょか。と、書いていますが、私は北九州の西連寺の長女として生まれ、十七歳の時、住職の父親が突然死して、後継者の兄は十八歳でいきなり住職という重圧で、心の病になり引きこもりになり、その状態をみたご門徒は他のお寺に移っていかれ、ご門徒〇戸に。そこで焦った母親は私に「あなたが京都に行って、僧侶の資格を取りなさい」と言ったので、私にとって想定外で、アナウンサーを夢みていた私が、僧侶?まるで真逆な仕事に思えたのですが、いくら私が反発しても、以上の事実からは逃げられず、京都の大谷専修学院に入学し、親鸞聖人という方の、辛い自分を大切にしなさいという教えを活かして、今抱えている苦しみは、教えに出遭うことで「智慧」となり輝くのだと、私は感じるようになりました。と、書いてありましたが、私たちは、確かに「生きているのは過去でもない未来でもない、今を生きているのですよね。今が、よくなるようにしなくてはならないのですよね!!!。

2018年1月28日 (日)

「十二転び十三起き」でも、前を向こう!!!。

今朝も、5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて外を見たら快晴でした。北風もなく寒い朝でした。身支度をしてテレビを見ながらゆっくりと朝食を食べて、新聞を読みPCに向かってブログを書いています。愛犬クーちゃんの朝の散歩にここのところ、妻が行ってくれますので、なにか運動不足ですが、しかたがないです。タイトルの言葉はPHP2月号に、もとプロ野球選手で今は野球解説者の金村 義明さんが「倒れるときも、前のめりに」何度も逆境から立ち直ってきました。僕の人生は逆境の連続で、「いつ」とは言えないぐらいです。甲子園の優勝 投手という、鳴り物入りで入団したからか、先輩やスタッフからいじめもありました。寮に入ると、口をきいてくれる先輩もほとんどいません。溌剌練習いるのに、背後から頭をバットでどつかれたりと、僕だけ徹底的にやられました。こんなプロ野球人生のスタートで、僕の心はすっかりひねくれて、練習は最低限しかせず、夜になると繁華街で遊び回り、年俸も下がる一方でした。「これで終わりかな」。そう思った時に現れたが、仰木監督が呼んだ打撃コーチ:佐々木恭介さんでした。大人の世界に嫌気が差して逃げ回っていた僕をとことん鍛え直してくれました。家庭もあるのに、朝から夜まで、つきっきりで猛特訓してくれたのです。中西太コーチとの出会いも、ぼくを変えました。この二人のお蔭でようやく一人前になり、レギュラーをとることができました。しばらくはよかったのですが、故障と若手選手の加入で、中日ドラゴンズへ移籍し、やる気十分で名古屋に家族と移住したものの、契約金はなしで年俸は据え置き。試合にも出られず、二軍、そして三軍へ。結局、一軍でプレーするチャンスもほとんどなく、年俸は七十五%もダウンで名古屋では二年間は最悪でした。しかし、この安い年俸が次のチャンスを連れてきました。当時、三人の子供たちはまだ幼く、ここで終わるわけにいかないと必死で練習しました。その姿を見た西武ライオンズの人が「金村はまだまだ使える。そうえ年俸が下がっていて安い!」と球団にかけあい、シーズン中のトレードが成立し家族を名古屋に残して西武の寮に入り、若手選手たちと汗を流しました。三十三歳の時です。僕は若手選手とともに暴れ回り、二年連続優勝の中心選手として活躍することができたのです。最終的に、プロ十八年目に引退しました。ここまで来られたのは家族の存在があったからです。よく七転び八起きと言いますが、僕の場合は「十二転び十三起き」、転んでも転んでも起き上がる。倒れるときも、目向きにおでこから倒れたいです。もちろん、がんばってもうまくいかない時もある。それでも前に進むしかない。逆境にいるとき、その前向きな姿勢を見てくれる人は必ずいると実感しています。 と、書いてありましたが、 わりと派手ななプロ野球選手でも逆境を味わっていた、選手もいるのだなあと、思いました!!!。

«落ち込む心を見つめすぎない!!!。

最近のトラックバック

2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31